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2013.03.31(Sun):支援者の皆さま
スタッフのあべです。
私は工房スタッフになる前に、ボランティアセンターのWEB班で活動。
センターのブログ記事を書いていました。

実は、取材をしたもののアップできなかった記事が一つあります。

ボランティアきずな館の閉所にあたりご紹介させてください。
RSYの震災直後からの活動を綴る予定でした。
2011年11月に聞き取りをし、引き続き取材を続けるつもりでしたが、そのまま手付かずに…。尻切れトンボでなんとも情けないのですが、このまま眠らせておくのももったいなく思い、この場を借りてアップさせていただきます。


きずな館

レスキューストックヤードの浦野愛さんから伺ったお話です。

 震災から3~4日後に1人のスタッフを様子見に東北へ派遣しました。福島から宮城を回り、途中立ち寄った七ヶ浜に愕然としたそうです。酷い被害状況なのに報道もされず、ボランティアも来ていない状況。七ヶ浜町社会福祉協議会から「すぐにでも来てほしい」と要請を受けました。「今、ボランティアの7割は地元の中高生。帰宅すると食べ物が無い状態。彼らのために炊き出ししてほしい」とのこと。ガソリンの手はずがようやく整った3月25日にスタッフ10人で現地へ。炊きだしと足湯の準備をし、軽油のキャンピングカーと4tトラックに乗り駆けつけました。炊き出しセット、プロパンガス、食材を愛知生協から支援してもらい、あさひ園の一部を借りて準備を整えました。最初、キャンピングカーで寝泊りしましたが、10人ではしんどい状態なので、園内で宿泊もさせてもらいました。
 
 足湯の活動は、3月26日にスタート。今のみんなの状況を知りたいということもありました。ただ、困ったのは水の問題。給水車の水を使用するのが申し訳なくて、町民プールの水を利用して行うことが出来ました。避難所7ヶ所を巡回し、一時間半で30人並んだことも。お風呂に入れない、自分だけ大変だって言えないという住民の様子。「外の人間がやってきて接することで気分転換になったのでは」と振り返ります。地元の中高生ボランティアにも足湯のやり方を伝授し、実践してもらいました。お年寄りが、孫のような子どもたちと触れ合うことで和やかな雰囲気になりました。行っても役に立たないと思い、ボーっとして気が滅入ってしまうお年寄りたちが孤独に陥らないようにという思いがあったそうです。過去、被災地をまわったときに、元気がなくなり、歩けなくなってオムツをつけるようになり、施設に入ってしまったお年寄りを見てきた思いがあったからです。

 愛さんが大学生のときに阪神大震災が起こりました。レスキューストックヤードの前身は大学のサークル。当時の顧問が今の代表理事・粟田さんです。卒業後は福祉施設で介護職につきながら活動を続け、2002年3月任意団体(NPO)の立ち上げと同時に事務局スタッフに。毎年地震・水害・噴火と日本国中の被災地を回り、16年の間に30ヶ所になります。同年、東海地震の被害想定地域の変更が報じられました。以前は静岡と言われていたが、このときに愛知・静岡・三重にずれてしまいました。東海の3つのエリアは100~150年周期で大地震が起こる地域。現在は165年を過ぎていますが、いつ起こってもおかしくない状況です。しかも、津波の到達は早いところで5~15分と言われています。行政から震度6弱の指定地域の制度を受け、行政と地域が連携をとるように通達されました。しかし、行政にはノウハウが無い状態だったので、レスキューストックヤードに講座や講演の依頼がくるようになりました。

 七ヶ浜とのかかわりは5年前の防災講演以来。「日頃のネットワークが大事」と話します。社協が町とのパイプ役になり、活動拠点の場所(きずな館、トイレやシャワー使用など)の環境が整いました。建物は日本財団のロードプロジェクトで寄付されました。
 七ヶ浜での活動は避難所の支援に重きを置きました。仮設トイレの不具合を直したり、お風呂代わりに体を拭く「清拭」のボランティアなどを行うなど、少しずつできるところから始めていきました。また、声を上げられない人、孤立する人を少なくするためにニーズを拾い上げるローラー作戦も行いました。
 ゴールデンウィークには大量のボランティア導入に対して、どう対応すればよいか思案しました。せっかく来てもらった人をお断りするのは忍びない。地元議員の「この町の復興は海と共にある。浜の再生なくして町の復興は無い」ということで、菖蒲田浜にボランティアを入れて活動しました。浜清掃や公民館での親子イベントなど、地元議員が町と連携してくれたことで動きやすくなったそうです。
 「地元の皆さんが活動するちょっとしたきっかけづくりをしています。私たちが最初のとっかかりになればと。外から来て少し経験のある“よそ者”の力をうまく使ってくれるとありがたいです」。現場作業はボラセンで、それ以外のお手伝いをしているんだと話します。表札や復興商店街の看板作り、親子支援、漁業支援など。他に、仮設住宅以外の在宅支援の活動も行っています。また、地元の漁師さんと船を流されたなど話をしていたとき、小さくてもいいからぼっけ汁を振舞えればと言っていたのを聞いて先日炊き出しでぼっけ汁を出したとのこと。「基本的にはお手伝いで、地元の人の意見を聞いて活動しています。気持ちはあっても、それをどう行動していいのかわからない。その人たちのきっかけづくりになればと思います」。

 どうしてここまで支援していただけるのか?その原動力は?と問うと、「お互いさまだから。16年被災地と関わり、うれしいことや辛いことを聞いてきました。一つの被災地に行って経験したことを、また次の被災地にちょっとでも活かせる。被災地から学ばせてもらっている。被災した皆さんの願い(自分たちが経験した酷い思いを、他の人たちにさせたくない)を受け取って、次の土地に還元する。それが被災者たちの望むこと」。また、「私たちが東海地震で被災したときのことを思い、つながりをつくっておきたい」とも話してくれました。「私たちは何かしてやりたい、何かしてほしい、のつなぎ役。外部支援の窓口的役割。こういうことをやりたいプロジェクト。町の人を巻き込んでやっていきたいです」。(取材:2011年11月16日 きずな館にて)


愛さんに確認を取らずアップしてしまいました。ごめんなさい!
訂正などがありましたらご連絡をいただければと思います。



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